悲しむということ(134)

多少の早い遅いはあっても季節は移り変わっていきます。今年は暑くなるのかもしれません。

いつも連休中に花盛りを迎える木香薔薇が4月中旬に咲き始め、5月に入った今は散ってしまいました。黄色のいり卵のようなかわいい花です。

40年以上前の母の日に妹と二人でプレゼントした花でした。母も妹も逝ってしまったけど、鉢を割って根を伸ばした薔薇だけはいまだに元気に初夏を告げてくれます。

木に咲く花や自然の草花は好きでしたが、鉢植えの花はどうも好きではなかったのです。それは私の不器用さに原因があって、なぜか鉢植えの花はいただいても枯らしてしまうから、何か私を罰しているような気がして嫌だったのです。

本当は、何かが私を罰するということではなく、自分で自分を嫌になって、それを鉢植えの花のせいにしたのでしょう。

その中で、木香薔薇は花が終わったのでツツジの後ろに放置したら、なぜか根付いて、毎年毎年花を咲かせてくれていました。ただ黙々と、そこにありました。

何年も気が付かないこともありました。母の体が不自由になって数年間はそうでした。花にも気づかず過ごしていました。父が亡くなって、妹が亡くなって、母が亡くなって、そうしてふと気が付いた時、元気に咲いていたのです。

気が付かなくてもそこにいる。いつもの営みを続けている。そんな心理臨床家になりたいと思っていたはずでした。でも、日々に追われて忘れかけていました。

しんどい時はただルーティンをこなしているようでした。一つ一つを大切にと、失敗するごとに何度も決意するのに、いまだうまくいかず、もう68歳になってしまいました。あとどのくらいの時間に初心を取り戻して臨めるかわかりませんが、頑張っていこうと思います。

悲しみの代替行動はすべて依存に通じるものです。なぜなら誰にでも起こるうえに、各々の形が違い、誰もが解決していないことが多いからです。否認(なかったこと)にしようとしたり、忘れようとしたり。苦しいことですから、そうすることも必要な時はあります。

でも、そうしても何かの拍子に思い出して、またグリーフ(悲嘆)の深い淵に落ち込んでしまう。それを避けようとしても、いつ来るかわからないので避けられない。そんなものです。

産後うつでも、長く長くそれを引きずっていらっしゃる方がいます。本当に手助けが必要なのに、「病気ではないから」と周囲から見放されたように感じられることも多いです。

悲しむということを学ばずに来た私たちは、悲しみに遭遇した時にどうしたらいいかわからなくなるのは当然だと思います。そんな時、私たちひろの会がいます。

ひろの会は自助グループです。いつもの場所、いつもの時間に、心の扉を開けてお待ちしております。

悲しむということ(133)

桜の花が咲き始め、おそらくこのおたよりが出るころはもう散り始めているでしょう。母は桜と胡蝶蘭が好きでした。この時期は好きではありませんでした。

バタバタと忙しい日々を過ごし、いつもはとてもしんどい思いになる4月のイースター前がさほどつらくなく過ごせました。おかしなもので、この時期は私にとって何をしてもうまくいかない時期(だと思い込んでいるだけなのかもしれませんが)なのです。

父が亡くなった時もそうでした。二女の卒業式にうれしそうに出て、娘たちに買ってもらったネクタイをしめて並んで写真を撮った何日か後に、急な脳梁出血で倒れ、一週間の脳死状態から看取りの介護をしました。

病院に泊まり込み、娘たちと一緒に過ごしました。最初は意識があって、「痛い」と言っていました。処置が終わって、「もう意識はないです」と言われても、娘たちの声にはたしかに反応していました。

父は母を愛していたので、なんでも母の言うことを聞いていました。なので、私にとってはよい父親ではありませんでした。母が私の貯金を使っても、私を置いて遊びに行って帰ってこなくても、「許してやれ」と言っていたので、子どもとしての時代を過ごすことができなかったからです。

私は娘にとってよい母ではありません。過剰に心配し、失敗しそうになると先回りし、娘の趣味にも反対し、着るものすら好きなものを着させませんでした。悪い見本の私の母のようにならないでほしかったからです。

もちろんそれは間違いです。でも、自分の間違いに気がついて、それでやり直せるかというと、そうではありません。二女はイライラとするらしく、あまり話をしません。長女はすぐに怒ります。

かわいそうなことをずいぶんしました。いつまで思春期を引きずっているのかと思います。もちろん、それは仕事の上で目の前の方への理解が深まるので、悪いことばかりではないのですが。

よく考えてみると、死は誰にでも確実に訪れるものです。それをどう受け入れるかの過程をモーニングワークといいます。うまく受け入れられない時に否認したり、ゲームやギャンブル、アルコールなどに依存したり、考えないようにしたりと、防衛的退行を起こします。

これらの役割はおそらく次の段階に行く前の落ち着きを取り戻すために必要なことなのかもしれません。そこにいつまでもいられないと思うと、しがみついてしまう。だから、ゆっくりと味わいましょう。

あなたは決して一人ではありません。どんな思いも、どんな考えも、言葉にして出してくだされば、一緒に考えます。一緒に受け入れます。先の見えないグリーフの出口に向かって一緒に歩みましょう。

ひろの会は自助グループです。いつもの時間、いつもの場所で、心の扉を開いてお待ちしております。

悲しむということ(132)

あっという間に3月になりました。香りだけで存在を主張していた蝋梅もあと少しになり、寒い日もあるけど春が確実に来ているようです。

自分自身を頼りに生きることができていたら、さみしくても自分の足で立つことができていたら、悲しさや苦しさに惑わされることなく、歩き出すことができるはずです。

しかし、人を支えや何かをよりどころにしていたら、その支えやよりどころがなくなった時に自分の歩む道を見失ってしまうことがあります。もちろん、人の歩む道は一つではありません。何が正しいのかは長い月日がたたないとわからないことです。

そもそも人はお互い支えあって生きるものです。家族でも、お連れ合いでも、相手がいなくなること、自分を置いて行ってしまうことを、失う前に具体的に考えられる人は少ないでしょう。

苦しい母の介護の間も、わずか一週間の病院での付き添いの間も、その時が終わってしまうなんて考えていませんでした。強烈な眠気と戦っても、今しかないとは思いもしなかったのです。

加齢というのは、季節がめぐるのと同じく避けようがないものです。緩やかに終末に向かっていくことを自分の体をとおして教えられます。

しかし、自分の足で歩くということは、年齢はほとんど関係ないのです。どんなに幼くても、自分で選び、歩いていたはずでした。「見ててね」と言いながら、冒険のような一歩を踏み出していたのです。

だから、今、立ち止まっていても、悲しみに前が見えなくなっても大丈夫です。幼い自分が歩き出したように、歩き出せるはず。その見ていてくれる人の役割がひろの会です。

たしかに自分は一人です。どんなに叱咤激励されても歩けない時もあります。でも、そんな時間も必要です。つらい今を一緒にしのいで、自分の足で歩き出すまでの時間が。歩き出してからは忘れ去られてもいいのが私たちひろの会の役割です。

ひろの会は自助グループです。いつもの時間、いつもの場所で、心の扉を開いてお待ちしております。ちなみに、自分自身を頼りに生きることを仏教では自灯明というらしいです。

悲しむということ(131)

いつの間にか立春が過ぎ、蝋梅が満開になっています。しだれ梅の木にメジロが来ていました。まだ鶯は鳴きませんが、確実に春が来ているようです。

長くスタッフをされている方に、このまま「悲しむということ」を書いていいのかと相談しました。分かち合いに参加できないことの後ろめたさがあって、相談したのです。

その方が「一人でも参加者がいる、新しい方が一人でも来られると、ああ、役割がはたせているなと思う」と言われました。

自助グループを立ち上げるためのファシリテートというか、スタッフをするのに、依存症の回復施設であるDARCやMACなどの自助グループを学ばせていただいたこと。「HIRO 息子の生と死が教えてくれたこと」の著者のお話を聞いたこと。

緊張した最初の会。ひたすら怒る方。ずっと下を向いておられる方……。そうした方たちに心理士として寄り添うともに、共に歩むことを学ばせてもらったんだなと思いました。

大きな地震で大勢の人が亡くなられ、「自分の悲しみに振り回されていていいのでしょうか」と悩まれた方。「もう夫には触れることができないのです」と声を上げて泣かれた方。「どうしてあんなところを歩いたのか」と、死に疑問を持たれた方。自分の息子や孫の自慢ばかりを話されて、ご主人との死別を話されない方。難病の夫を介護され尽くしたのに、夫の両親たちに責められてつらい思いをされた方。傾聴の資格を取りボランティアに行かれた方。

さまざまなお顔をまるで今のことのように思い出します。どうかどうかどの方にもこれ以上の苦しみや悲しみが降り注ぎませんようにと祈る日々です。

自助グループはとても大きな力を持つものです。人の話を聞くというのはとても難しく、その方の役に立つことをつい言いたくなったり、その方が話す力を無視して、自分が深めたいと思ったことを掘り下げたくなったりするものだからです。

自発的に話すことは癒しにもなり、心の整理にもなり、新な力を生む原動力になるのです。だから、思い通りに会を運営しようとしたり、人を集めようとしたりしてはならないのです。

もちろん、この会があることを知ってもらう努力は必要です。でも、それと同時に、ひろの会がその方にとって必要がなくなる時期があることを忘れてはならないのです。

ひろの会は自助グループです。いつもの時間、いつもの場所で、心の扉を開いてお待ちしております。くれぐれもお体を大切にご自愛ください。そのうえで思い出した時にお出でになることをお待ちしております。

悲しむということ(130)

 年が明けました。新型コロナウイルス感染症は形を変え、5回の接種をしても、いつ接種しなくてもすむようになるのかわからないほど蔓延しています。くれぐれもお体を大切になさってください。

 一時すごく寒い時もありましたが、ここ何日かは雪も降らず、蝋梅もつぼみを膨らませています。春は思ったより近いのかもしれません。

 保護してから一度も外に出たことのない猫が、寒い日に飛び出しました。雪が降る日でした。ドアを開けたらするりと出たそうです。

 我が家はアナグマやタヌキ、ヌートリア、猿などが出る山の中腹にあります。爪はこまめに切ってあって、闘うすべも持っていないので、何かに襲われて殺されるのではないか、道路に出て車にひかれるのではないかと心配で、一晩中探しました。

 探している時に、なんで家から出ないと思い込んでいたのだろう、どうしてGPSつけとかなかったのか、警察、保護センターに連絡した以外にすることはなかったのかと自分を責めました。死んだ妹に見つけてくださいと祈りしました。

 翌日、仕事を休んで必死に探しました。昼過ぎに出ていって、もうすぐ24時間たつ頃、側溝のスレートの下から泣き声がしたので見つけることができました。すぐに獣医さんに連れていき、ダニや寄生虫の予防薬を投与してもらいました。不安で疲れも感じませんでした。妹にありがとうと言いました。そして、私の手の中に入るくらい小さなものでさえ自分の思い通りにいかないのだと思いました。

 亡くなった妹のアカウントの名前はかわいい猫さんです。妹は獣医師になりたいと言いながら、それでは生活ができないからと看護師になった人です。インコ、カラス、黄星インコ、九官鳥、犬、猫、ウサギなど、ありとあらゆる動物をとてもかわいがって世話をしていました。

 妹のことを思い出しました。小さな命を慈しむ優しい人でした。だから早く神様に召されたのかもしれません。タオルで汚れを落として、暖かい寝床に入れてなでていると、妹のきれいだったところばかり思い出して、とても苦しかったです。

 人が何かを受け入れる時には、螺旋状にねじれたり、進んでいないように感じたり、ああ、ここだったんだとストンと納得できたりと、出口が簡単に見えるトンネルのようなものではない過程を歩むものだと思います。

 講演会の後の座談会のテープ起こしを拝見し、私は人前で原稿なしでしゃべるのは向いていないのだなと思いました。伝えたいことはあります。どんな感情にも居場所が必要であるということや、理解できなかったこともありましたが、さまざまな形の喪の作業があるということや、なかったことにするとなんかの拍子に出てくることがあるということなどたくさんたくさんあります。でも、考えていたことが自分の口からスムーズに出ることはないようです。

 ひろの会はそんなとりとめのない思いをしっかりと受け止めて聞く場所です。一人の方だけが来られても、それがひろの会も存在意義です。
 ひろの会は自助グループです。いつもと同じ場所、同じ時間に、心の扉を開いてお待ちしております。

悲しむということ(129)

秋が通り過ぎ、いつの間にか冬になっています。ほんの何日か前までコートも必要なかったのですが。
新型コロナウイルス感染症は第8波で、何千人もの感染者が出てもニュースにもならなくなり、身近な人が感染したという報告がある日々です。

私は母の介護をしている時はとても神経質になりました。私が感染したら、母に何かあった時には駆けつけられなくなるから、それが怖い。それに、私は対人援助職をしているので、感染したら働けなくなる。そういう恐怖から、今も少し過敏です。

しかも、私は鼻炎で、軽度ですが喘息もあるので、息苦しく無意識にマスクを外すことがあります。なので、集まりにはほとんど出ていません。

11月の講演のの座談会で、人の死を受け入れるという時の複雑さを話したつもりでしたが、時間と言葉が足らなくて、聞かれた方が誤解されたかもしれないと思い、少し書きたいと思います。

私は妹が亡くなった時、悲しいという感じより、現実感がなくて茫然とし、なんだか夢の中とか水の中でぼわぼわと漂っているように感じました。

母の介護をしていて、手術をするかどうか決断しないといけない時に、どうしようと妹の携帯に電話をかけ、違う人が出て、もういないんだ……と、寄る辺ないような情けない感覚を持ちました。

母の住まいに泊まり込むと、ずっと興奮したように起きているので、同じ敷地にある自宅で携帯を枕元に置いて、帰って横になると、布団の温まる暇もなく呼ばれ、昼間の仕事もあり、眠さと私を呼んだことも忘れている母に腹を立てることもありました。

もちろん、清拭をした時に気持ちよさそうにしている母、歯磨きをする時に歯がないのにとおどける母がかわいいと思ったことも何度もあります。お医者様に内緒でブランデーを口にして、ウインクをした母もかわいかったです。死ねばいいと思ったわけではないのです。

介護の計画を立てるケアマネジャーさんに、「お母さまを看取るのはご家族様で、私たちは支援です」と言われた時、「ああ、私は当事者なんだ」と思ったと同時に、「死んだからいいよね。誰もあなたを責めないから」と、在宅のつらさをぶつけたい腹立ちを亡くなった妹に持ちました。

妹は明るく、とても優秀で、スポーツも万能、看護師として頑張っていました。尊敬もしていましたし、娘たちもかわいがってくれた妹が大好きでした。

宇多田ヒカルさんの「花束をきみ」にという歌を聞くと、青い花が大好きだった妹のことを思い出し、胸が苦しく涙が出ます。悲しい気持ちと腹立ちと。言葉にならない様々な感情が螺旋のように裏表にねじれて現れてくるのです。

妹が死んでから時間の感覚と未来に向かう希望のようなものがなくなったような気もしていました。文献や論文をたくさん読んだら、これがモーニングワークなんだと理解しました。

今はそれを皆さんに伝えたい。悲しむ、涙する、思い出すだけではない、さまざまな思いを。自死された方のご遺族は「私の存在が思い浮かばなかったのか」「何も助けにならなかったのか」と、自分を責めたり、亡くなられた方を責めたりする思いもあるのだということを伝えたい。

どんな感情も、どんな思いも、居場所があってよいのです。吐き出す場があってよいのです。
だから、ひろの会があります。ひろの会は自助グループです。いつもの場所、いつもの時間に、心の扉を開いてお待ちしております。

悲しむということ(128)

歩いていると金木犀の香りがして、朝夕は寒いと感じる季節になりました。いつもなら幟がたって、お祭りが近づく時期ですが、ここ3年はお祭りの準備で町内がにぎわうことはなくなりました。

それ以前からのことですが、急速に少子化が進み、子ども神輿は成り立たなくなったこともあります。一時期は榊神輿、神輿、俵神輿と、3つの神輿が出ていたのですが。報恩講も地味になり、月参りも減ったそうです。カトリック教会もミサをYou tube配信しています。

どんどん新しく変異するウイルス。新規感染者が千人を超えている。でも、何にも感じなくなったように思えます。古い体質の勤め先では、あっという間に時間が過ぎています。

質的研究で文化人類学の先生が話されたインゴルド・ティムという人が書いた『ラインズ:線の文化史』を読みました。

「過去とはいつも時のはるか後方に取り残 された点の連続のように次第に消えていくものではない。…現実には、過去は私たちが未来に分け入るときに私たちとともにある。その切迫した状況において、記憶の作用は見出される。記憶の作用は意識の導き手であり、どんどん前進しながら道を思い出すのだ。さまざまな過去の生のラインをたどり直すことは、私たちが自らのラインに沿って進むための方法なのである」
この文章について少し話したいと思います。

故人との思い出、亡くなった時のことなどを話される時、過去について話していると勘違いされることが多いです。母が病んでから長く参加していないですけど、ひろの会では同じ話を同じように語られることは、ただの一度もなかったことを思い出します。しかし、ご本人は同じ話を何度もしていると思ってらっしゃるようです。しかし、違うのです。

どうしてだろうと思っていました。自助グループに見学、参加した時も、同じメンバーが違う話をする。断酒会のようにファシリテーターがいるところでもそうでした。カウンセリングで過去の話を伺うときも違ってくるのです。

これは記憶を改竄するのではなく、未来に分け入る時に、過去が共にあるからだと、この本を読んで気がつきました。

自助グループで分かち合うことの意味もそこにあるのかもしれません。未来に分け入っているから、過去が共にあって、悲しみが形を変えていくのかもしれません。

無理に忘れようとしなくても、繰り返し話して前に進めていないように感じても、未来に分け入っていると思います。

ひろの会は自助グループです。いつもの時間、いつもの場所で、心の扉を開いてお待ちしております。

悲しむということ(127)

朝夕が涼しくなって、夏の疲れが出てきそうな10月です。季節の変わり目がとても苦手な人が多い気がします。

車で畑が見える道を走っていると、土手に真っ赤な曼殊沙華が咲いています。ほんの少しの間、秋を知らせてくれる花です。今年はいつまでも暑くて、つらかった人も多いのではないでしょうか。なんとかしのいでいきましょう。

大きな言葉と小さな言葉について話したいと思います。心理士をして最初のころは大きな言葉、専門用語やひとまとめにできるような言葉が伝わりやすいと思っていました。

しかし、うかがっているお話は大きな言葉ではないのです。苦しみや悩みや形にならない思いなどです。でも、私が頭の中で理解しているのは、行なっていたのがそういう療法だったためもあり、アジェンダとかアイスブレイクとかカタカナの言葉を覚え、使うことが求められていると思い込んでいた気がします。

それらはどの臨床家でも一言で理解できる共通言語のようなもので、大きい言葉だと思います。コミュニケーションの質的な問題を抱えている方たちの思いを丁寧に聞くことよりも、その方たちを「どう支援するのか」ばかりに気を取られていたのです。

悩まれている方には何かお土産や次回までの支えになる言葉を伝えなければならない気がしていたのだと思います。それができていたのではなく、そうしようとしていたのです。

今は一つ一つの語りに耳を傾け、丁寧に聞くことを大切にしています。ああ、この方は悲しみをこんな言葉で表していらっしゃると、その言葉のままを受け止めています。

言葉はその方の定義なので、一般的とは言えません。だけど、心に染み入る、とてもとても小さい花のような、宝石のような言葉です。You tubeやTwitterで多くの人に向けて発信する言葉ではなく、小さな声で小さな思いを語られるのです。

人が人を変えることはできません。自分自身ですらコントロールできないのですから。子どももこちらの思い通りには動きません。動かせようとか、言うことを聞かせようとしたら、虐待になってしまいます。

でも、大人に対してはわかってもらえると勝手に思っていたのでしょう。恥ずかしいことです。そんなことを最近考えています。

ひろの会は自助グループです。どのようなつぶやきでも、皆様の声を丁寧に受け止めて共に歩む場です。いつもの場所、いつもの時間に、心の扉を開いてお待ちしております。

来月には講演会もあります。とても素敵な先生です。ぜひお運びください。皆様方にいい出会いとなりますように。

悲しむということ(126)

いつの間にか夏が終わろうとしています。夜は虫の音が聞こえます。朝夕は少し過ごしやすくなってきて、東京のほうでは寒いくらいの日があるそうです。だけど、暑がりの私はとても暑く感じて、そういえば母も暑がりだったなと思い出しました。

老猫はお盆に眠るように亡くなりました。最後までトイレにきちんと行って、ご飯は食べないけどお水を飲んで、身づくろいをしていました。

連れ合いを亡くした、同じ時期に拾ったおばあちゃん猫はとても寂しがりになったみたいで、私が座るとすぐに膝に乗ってきます。かわいそうだから膝に乗せてあげたいけど、暑がりの私はとても暑いのです。でも、猫をおろしたら悪いことをしている気がして、汗を流しながらしばらく我慢しています。

動物を飼うことは人と暮らすことに似ています。途中で嫌になっても投げ出せない。私を頼りにしてくれているのだから、以前のことはさておいて大事にするしかない。いい人だと思ってもらうとか、そんなのではなく、頼りにして身をまかせてくれている人でも猫でも無下にはできない。
そんなふうにして、母を捨てられなかった言い訳を何か事あるごとにしています。

人は自分の触れられない距離の人に対して、限りなく残酷だったり、正義を振りかざしたり、大きな声で糾弾したりするものです。

だから、テレビや映画に出る芸能人が不倫しようと、そういった人にいつも清廉潔白でいてほしいと願うほうがおかしいと思います。作家や詩人に少しくらいおかしなところがあったとしても、私が怒ることではありません。

ただ、自殺はしてほしくない。学校カウンセラーになりたてのころに、希死念慮の強い子どもと面接をしていました。毎回、生きていてと願いながら学校に行き、次回を約束しながらつないでいました。だけど、有名なギタリストが死んだとたんに、なんのためらいもなく死んでしまったからです。社会に影響のある人はそこだけは無理なら、隠してほしいと思います。

自殺はとても大きな病です。それは家族が大切じゃないとか、愛がどうとかいう問題ではなく、その衝動で突き動かされるものだと思っています。

中島らもという作家が本の中で、どうしても隣のビルから飛び降りなきゃいけないと思って家(だったか)を出た時に、たまたま事務所の人に会って、「助けてくれ。俺を入院させてくれ」と言ったと書いておられました。人が死をコントロールすることは難しいのです。

今ここに集中して、過去や将来を考えることはやめましょう。過去やしんどかった別れを話すのは、受け止めてくれる人がいる場所でしてください

ひろの会は自助グループです。いつもの場所、いつもの時間に、心の扉を開けてお待ちしています。

悲しむということ(125)

8月になりました。7月に23年も生きている老猫が食事をとらなくなったので、ちょうどワクチンの時期でもあり、動物病院に連れて行きました。血液検査の結果、腎臓がすごく悪いので、点滴をと先生は言われ、私にとって莫大なお金を払いました。

毎日点滴に連れてくるようにと言われたんですが、2日目の点滴が痛かったのか、1日目にはなかった反応をして暴れました。少し点滴が漏れてしんどそうでした。

ここで悩んだのは、私の気持ちと猫の気持ちです。猫は多少ぼけてきていて、ほわほわと平和そうに毎日を過ごしていました。頭をなでてほしい、ごはんが欲しい、お帰りなさいと日々私だけを見て、のんびりと暮らしていました。人間でいうと108歳、長寿猫です。私は少しでも生きてほしいと思いって点滴をさせたのです。

翌日は事情があって病院に行けませんでした。二女が帰ってきたので、猫をキャリーに入れ、車に乗せて連れて行ってもらおうと思ったのですが、キャリーに入ろうとしません。

いつもは暴れる子ではないのです。おとなしい、誰に抱かれても嫌がらない、怒らない穏やかな子なのに、なぜか嫌がったのです。だけど、私は無理やり入れようとしました。しかし、ふと思い出して、連れていくのをやめました。

今もトイレに行くことと水を飲む以外では寝てばかりいます。ひろの会のある日まで生きているかどうかはわかりません。

思い出したというのは母のことです。手術の前にの安定剤を入れた後、トイレにこもって出てきませんでした。自分から手術を希望したのに、嫌がって怖がって出てこない。私は母の顔を見ていませんでした。執刀してくださる先生と麻酔の先生の困った顔を見ていました。

本当に母のために手術を決意したのか。それからの介護の日々が母のためになったのか。私が周囲に「よくやっているね」と言われたいがためではなかったのか……。

母が亡くなった後、まだまだできることがあったのではないか、家で死にたいという母の希望をかなえられなかった自分の情けなさ、ふがいなさなどを考えます。

私は自信がなくなってしんどくなると、選択を間違えている気がいつもします。頑張っていたスクールカウンセリングを三分の一に減らされたのは、何か大きなミスに気がつかなかったためではないか。病院を退職することになったのは、私の年齢とかじゃなく、何かをしてしまったからではないか。

そんなことを考えてしまいます。そして、自信を失ってしまいます。そんな悲しみ方もあるのと気づきました。

ひろの会は自助グループです。いつもの時間、いつもの場所で、心の扉を開いてお待ちしています。

悲しむということ(124)

 もうすぐ母の一周忌を迎えます。母のいた頃には日々丁寧に手入れをしていた庭は、剪定をお願いしている時以外は水もまかず、掃くことも草を抜くこともあまりしなくなり,荒れた様子です。仏壇の花は造花になりました。

 入院していた時も、コロナの影響で施設に行ったきりになった時でも、母の目があるような気がしていたのか、きちんとしていました。日曜日に7時まで寝ていることもなかったです。

 今はゆっくりと休めているはずなのに、疲れが取れず、寝ても眠い状態です。こんなだらしないのはいやですが。

 悲しみなのかどうなのかと言われたら、私は母に対して強い愛情や気持ちがあったわけではなく、ではなぜ介護をしたのか、看取りをしたのかと聞かれると、わからないのです。

 生きたがったとはいえ、胃、胆囊、食道の一部、膵臓を切り取り、腸から栄養を入れる腸瘻を選択したことが正しいかどうか。怖がりで、麻酔の注射をする時にも暴れた母を、もういいと言わずに注射させたこと。半年しか保たないと言われたのに4年以上保ったこと。ブランデーが大好きな母が毎日の晩酌を楽しめなくなったこと。夜中の度重なる抜去のたびに医者に来ていただいたこと。入院を何度も何度もしたこと。そのたびに付き添いについていただいて、経済的に負担だったこと。朝夕入っていたお風呂に入れなかったこと。月一回の美容院と顔そりのための理容院に行かせてあげられなかったこと。ほぼ寝たきりにさせたこと……。

 時系列で整理もできず、仕事で紛らわせて、丁寧な仕事ができていなかったのかどうかの不安もあります。十年以上もそんな生活をしていたのです。

 家の裏の山は、谷の一部が土石流に流されたため、防災工事がされて景観がすっかり変わりました。それだけでなく、屋根裏に住み着いたハクビシンを駆除しました。鹿が出てきたり、タヌキ、アナグマやヌートリアがウロウロし、猿も出ます。母の育てたブルーベリーは鳥が食べに来ました。もしビビりの母が生きていたら大騒ぎしたことでしょう。

 こんなに変わったのだから、私も歩き出さなきゃと思います。もう少し待ってください。

 ひろの会は自助グループです。みんなで悲しみを分かち合う場です。いつもの場所、いつもの時間に、心の扉を開いてお待ちしております。

悲しむということ(123)

 夏のように暑い日と、梅雨のように少し肌寒い日が入れ替わりに来て、体がついていきにくい日が続いています。梅の実が少し色づいています。

 母のいた頃は、娘が梅を漬けるのを手伝って良い香りのする梅仕事をしていたのですが、母がなくなり、今年は漬けないかもしれないと、娘が言っていました。

 庭の梅はしだれ梅で、きれいですけど、実はおいしくなく、梅シロップも今年は漬けたくないそうで、季節に置いていかれたような気がします。とはいえ、ここ何年も季節をきちんと感じたことはなかったのですが。

 どんな感情にも置き場所というか、居場所を作りたい。そんな支援がしたいと、相談活動をしています。自己否定と自己憐憫ほど前を見えなくするものはないからです。

 相談というか、カウンセリングは共に歩むものであって、決して上から引き上げるものでもなければ、押し上げたりするものでもありません。

 暗い夜道で周囲が見えないと不安でも、誰かと一緒なら落ち着いて歩ける。どんな小さな明かりでも、照らしたら前に進める。必要な時に求められ、いらなくなったら忘れられる。そういった存在であることが望みです。

 しかし、自己否定や自己憐憫に浸っておられる方は、周囲が見えなくなるほどの明かりやサポートでないと、自分は助からないと思い込んでおられる場合があります。

 もちろん、誰にでもそういう時期があって、それも必要な時かもしれないのですが、その苦しさがわかるからこそ、そこにはまってほしくないと思うのです。

 できれば否定されない場所でゆっくりと丁寧に話を聞いたり、聞いてもらうことを体験してほしいです。それが自助の力です。

 誰もあなたの悲しみを軽く扱う人はいません。言葉で表せることは少しですが、それもそのまま言えるわけではなく、もどかしいですが、丁寧にうかがいます。当事者同士として、大切にうかがいます。

 ひろの会はそういう場所です。ひろの会は自助グループです。いつもと同じ場所、同じ時間に、心の扉を開いてお待ちしております。